ズッコケトリオ台湾珍道中

after_harmelin2005-01-02

12月29日から母と兄と3人で台湾へ。
「大晦日、正月は家族と、大掃除、料理手伝い、PRIDE時々K-1、年越しそば、初詣」という昭和イズム&Uイズムな価値観から離れられない僕としては、家族からの台湾旅行のオファーにかなり戸惑ったが、泣く泣くPRIDEを諦め、旅行に承知した。ノブ兄さん、安生さん、正直スマン。


台湾旅行には、事前に台湾経験者の友人たちからあれこれ情報をもらったが、いざ行ってみれば、家族たちの暴君ぶりの前に、貴重な事前情報も形無し。事実、成田空港内で早くもいさかいを始め、飛行機に乗り遅れかけた(笑)。
最初こそ台湾の文化や風土を吸収しようと躍起になっていたが、途中から末っ子本能が発動し、ここは台湾だと思うのはやめ、通常通り感情を押し殺して母と兄にことにした。ここは、旅先の国家とかかの国の文化的な貴重さ・稀有さよりも、肉親らの一時の感情が遥かに重きをなす、ある意味超特殊な国家(将軍2人、臣下1人)なのだ、と。


3日目、それまでの孝行の実績を認められたのか、ようやく半日の暇を頂戴し、博物館や天母や頂好エリアを1人歩きする。ここぞとばかり、いろんな人と喋り捲る。
若い人には英語、それ以外の人には片言の北京語、もしくはひたすらジェスチャーや筆談。北京語で話しかける時に気をつけねばならないのは、せっかく相手に分かる言葉で話し掛けることができても、返される北京語での返事のうちほんの数語しか聞き取れないことだ。
そういう意味で、どこへ行っても日本語とジェスチャーだけで何とかしてしまう母の潔さは立派。そうしたら相手も、言葉じゃなくジェスチャーで分かってもらえるようなレスポンスを返してくれる。何でも英語で済まそうとする兄は、英語が通じない状況を味わうごとに、みるみる神経質になっていった。僕は、人と話せるだけで楽しいので、自分の目的をそのまま達せなくても、直接お話できたこと、一時の状況を共有できたことだけで、何となく満足してしまう。まさに3者3様。


3日目の夜、3人で合流し、宿に帰る途中に、いいお茶っ葉屋さんを見つけた。ご主人は英語を喋れるうえに、日本語も勉強し始めて2年目だそうで、ここは会話には何の心配もない。茶葉や茶器を買い求める間に、あれこれとお茶をご馳走になった。大連帰りの父の影響で中国料理や中国茶に関しては周りより意識の高かったつもりの自分だが、ご主人のお茶の煎れ方や話の端に香るスマートな美学に、感嘆しきり。旅の最後の最後で、いいお土産をいただいた。


道中ずっと、友達からもらったお題でもある、日本と台湾の違い、あるいは同一するものに関して考えていた。台湾にあって感じた違和感の多くは、絶対的な違いというより、各要素の多い/少ないの加減の問題だとも思った(それはどことどこの国を比べるのにも一緒だろう)。まぁ、明らかに台湾の人たちのほうがモラルは高い。また、台湾に対して感じたとっつきにくさを翻って観るに、外国人から観た日本はましてやと思う。


それらを通し、また自身行きたいかと訊かれれば、・・・う〜ん、どっちでもいい。3日間の滞在にして、ある意味台湾に懐かしさを感じつつ、ある特殊な香辛料と油の臭いだけにモロにやられてしまった自分だ。もっと極端に文化が違う国に行かないと、分からない。


写真は、小林幸子美川憲一の向こうを張って、華々しく炎上するTaipei101ビルの姿を報道する、元旦の中国時報。台湾は燃えていた。